2019年7月6日、朝。天気はくもり。
都営大江戸線光が丘駅から、NPO法人あそびっこネットワークの事務所まで。
僕はいつもの道を、泣きながら歩いていた。(きもい)
今日は、約1年間インターンとして関わってきた「光が丘プレイパーク」の現場で働く最後の日。(正確には、10ヶ月の留学後に戻ってくるのだが。笑)
1年前、遊びの価値を確かめるために大学院にきて、子どもたちと関われるフィールドを探していたときに出会った場所。
子どもたちがこんなにもいきいきと自分らしく遊びに夢中になる場所があるのかと衝撃を受け、活動することを決めた場所。
その場所が、こんなにも愛おしくなるなんて、あの当時は思いもしなかった。
思えばこの1年間、迷ってばかりだった。
「遊び」という軸がありながら、いろんなボランティアやインターン、課外活動に手を出し、自分を見失ったりもした。何もできなくなったりもした。
それでも、僕はここにだけは行き続けることができた。
この場所だけは、ずっと変わらなかった。
僕にとってここは、どんな人も、どんな思いもまるっと受け止めてくれる場所だったから。
「子どものため」の場所に一見みえるけれど、実は親だって地域の人だって、プレイリーダーだって、すべての人を肯定してくれる場所だったから。
そんな安心感が、いつのまにか僕の中にできあがっていた。
そんなこんなで1年が経ち、留学を前に活動最後の日がやってきたのだった。
朝から、6年生の少年Rが一番乗りで出迎えてくれた。彼は受験勉強を頑張っているのだが、僕が最後だと聞きつけて久しぶりに遊びにきてくれた。
(彼の物語はこちら!)
雨の予報だったので子どもたちは多くなかったが、常連のみんながやってきて、いつもと変わらず遊び倒した。
虫を追いかけて走り回ったり、ペットボトルロケットを作って飛ばしたり、焚き火を囲んでしゃべったり、大人の真似をしてジュースで飲み会をしたり、カエルを観察したり。
みんなが思い思いに遊び、その様子を大人が見守る。もはや見守ってもない大人もいる。大人も染物にはまったり、好きなものを焚き火で焼いたり、自由に遊んでいる。
ああ、この空間がたまらなく好きだなあと思う。
途中、プレイリーダーが仕掛けてくれて、みんなからパイ投げを食らった。手荒な送り出しにびっくり嬉しく、子どもたちの顔にもクリームを塗りたくってやった。
最後には、幸せなことに、みんなからプレゼントをいただいた。
(少年Sの物語は、こちら!)
そして最後は、子どもたちとプレイリーダーと、本気の水かけ大会。
びちゃびちゃになって、もみくちゃになって。
お母さんたちが遠くで微笑んでいる。
曇り空に、みんなの笑い声や叫び声が響く。
決着がつき、広い芝生に寝転んで、「あ〜〜楽しかった〜〜!!」と心の声が盛大に漏れ出す。
僕は子どもに何かを教える教育者ではなく、そばで寄り添ったり、そっと背中を押したり、愚痴を聞いたり、思いっきり遊んだり、時にはまじめな話もしたり、そんな関わり方がしたいなあと思う。
この子どもたちと、お父さんお母さんたちと、この場所で同じ時を過ごすことができて、僕は本当に幸せ者だった。
子ども時代という、彼らのかけがえのない一瞬一瞬をともにすることができてよかった。
僕が彼らに何かをしてあげられたわけではない。彼らが僕に、遊びを通して人が育っていくその尊さを伝えてくれた。
きっと彼らが大人になったとき、僕のことなど覚えていないだろう。
僕はそれでもいい。
彼らの過ごした子ども時代に、「僕」がいたことではなく、夢中に鬼ごっこをしたとき、腹の底から笑い合ったとき、どろんこになってはしゃぎまわったとき、一緒になってじーっといもむしを観察したとき、秘密基地の中で学校の不満を語ったとき、その一瞬一瞬をともにする「誰か」がいたことに意味があって。
プレゼントのお返しとして彼らにメッセージを送るとしたら。
君が感じた気持ちを、一緒に感じる「誰か」がいたこと。
君自身を全身全霊で受け止める、先生でも親でも友達でもない、「誰か」がいたこと。
それを忘れないでほしい。
そんな「誰か」の存在が君の中に在り続ければ。君が「誰か」と共に生きてきたという温もりを持ち続ければ。
君が大人になったとき、親になったとき、きっと自分にも他者にも優しくあれる人になっていると思う。
そして、これから先も君の周りにはそんな「誰か」がいること、君も誰かにとっての「誰か」であることを、忘れないでいてほしいと思う。
何かに夢中になった日々の中で。
君だけの「おもしろい!」「やりたい!」を追い求めた日々の中で。
君たちが積み重ねたものは、これからの君たちの人生の土台となっていくだろう。
どんなときも自分らしく、心の声にしたがって、生きたいように生きていってほしい。
そんな君たちの人生の1ページに、「誰か」としていられたことを、僕は心から幸せに、誇りに思う。
これを彼らが今読んだとしても、きっとよくわからないだろう。
わからなくていいから、これまでと変わらず思いっきりたくさん遊んで遊んで、たまには勉強して、いろんな感情に出会って、いろんな自分を知ってほしい。
いつか大人になって、巡り巡って奇跡的にここにたどり着いたとき。
あの日々のことを思い出して。そして「僕」のことをほんのりと思い出してくれたら。僕はもう死んでもいいや〜〜って思うくらい幸せだろうな。
僕が大好きなこの場所が、人が変わっても、ずっと変わらないことを願う。
たくさんの人の人生の余白に、心の余白に、遊びが溢れることを願う。
もちろん、僕もそうやって生きる。
そのためにスウェーデンに行く。
NPO法人あそびっこネットワークの皆様。
「遊び」について真剣に語り合える人たちに出会えたこと、本当に本当に嬉しくて、楽しかったです。
出会ってくれた、送り出してくれたお父さん、お母さん方。
みなさんと、子どもたちの今を、未来を願うことができて心から幸せでした。
そして、いつも笑い合った子どもたち。
みんなの人生と、僕の人生が一瞬でも重なったことをとても嬉しく思います。その奇跡を噛み締めて、頑張ってきます。
また会おうね。
お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。
いってきます!