三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

〜田舎に泊まろう in Sweden〜 10日目 最終日

God morgon!

 

早朝にコンコンとドアをノックされる音で目を覚まし、出て行くとTobiasとMikaelaが待っていた。

 

今日は、この家族と過ごす最後の日。

そして、Stellaの2歳の誕生日。

 

2本のろうそくを差したオートミール(麦のおかゆ)と、昨晩せっせと包装していたプレゼントをもって、そーっとStellaの部屋に入る。

そして、スウェーデンのバースデーソングを歌い出す二人。

"Gratiss!!"(スウェーデン語で"おめでとう")と言われながら、わけもわからずむにゃむにゃと目をこするStella。

やっと状況を理解し目の前で灯るろうそくに気づくと、目を輝かせながら息を吹き、火を消した。

 

その力強さに、彼女がこの世に息吹いてから2年を迎えることができた奇跡を、しみじみと噛み締めた。

 

何歳になったの?と聞かれ「3歳!」と答え続ける彼女のたくましい声と、家族の大きな笑い声が家中に響く、幸せに満ちた朝だ。

 

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愛のこもったバースデーカード

 

いつも通り朝ごはんを食べ、家族みんなで集合写真を撮った。

一生の宝物が、またひとつ増えた。


仕事に行くTobiasとお別れのハグをし、 Stellaとförskolaで最後のお別れを告げる。

すくすくのびのび育つStellaとLeoの未来が、楽しみで仕方ない。また会いたいな。 

 

駅までMikaelaとLeoが見送りにきてくれた。 

Mikaelaとお別れのハグをして、ありったけの感謝の気持ちを伝える。

いろんな場所に連れてってくれて、本当に嬉しかったなあ。

 

最後に、僕が撮ったたくさんの写真達をまとめたスペシャルサンクスムービーをプレゼント。喜んでくれてよかった、、。

 

たった10日間だったけれど、本当の家族のようにあたたかく受け入れてくれて、心からリラックスできる安心感の中で過ごさせてくれて、圧倒的感謝。

 

後ろ髪を引かれながら電車に乗り込み、ぬくぬくとした気持ちでこれを書きながら、シャワールームにニベアのボディークリームとニキビ予防化粧水を忘れたことに気がついた。

ぬあ〜〜〜〜やっちまった〜〜〜〜〜〜とへこんでいたら、買っておいたランチを乗り換えの際に電車内に忘れた。ダブルパンチ。つらい。すごくつらい。

 

 

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この10日間、スウェーデンの家族の実生活の密着し、感じたこと、考えたことをここに記してきた。

本当に本当に、幸せな時間だった。

 

Leoが1歳になったらパパが育児休暇をとって、私が働くの

 

障がいのある子だって、ブランコに乗りたい。それが普通でしょ? 

 

あなたには今、ガールフレンドかボーイフレンドはいるの?

 

『結婚』をすることがそんなに重要なことなの?

 

若いうちから人生でやりたいことなんか決められるわけがないんだから、何歳でもやり直せる社会が必要なのは当たり前でしょ?

 

そんなこの家族の言葉の節々から、環境が違うとこんなにも身の回りの「当たり前」や「普通」が違うんだなと、何度も思わされた。

生まれ落ちる場所は選ぶことができないのに、理不尽だなあくそ〜〜と思う。 

 

僕たちはその事実に気がつかずに生きることも、目を背けて生きることも、抵抗しながら生きることもできる。

 

 

最近、世界の愛と平和を願う超絶かっこいいハロプロ軍団にはまってしまったのだが、その先頭をひた走るモーニング娘。の曲に、こんな歌詞がある。

 

やだやだと言ってれば世の中が変わるなら 一晩叫ぶわ

でも 自分だけが楽をしたって私の人生 ほんとに楽しめないんだよ

 

セクシーキャットの演説(モーニング娘。'16)

 

 

「ほんまそれな!!!!!!!!!!!!!」と心の中で1億万回叫んだ。

 

 

当たり前だけど、僕らひとりひとりの「人生」と「社会」は、つながっているのだ。

僕らが生きるこの世界は、「社会」という人々の集まりでできているのだから、その枠組みからはどうしたって逃れられない。

しかし、そこを切り離すかのごとく、今ある環境の中で必死にもがきながら、自分なりに工夫して楽しみながら、日々の生活を紡ぐことに精一杯なのが多くの日本人の現状だと思う。

そこには、実生活をすかして、もっと大きな動きの中にいる自分見つめようとする「余白」がなかなか生まれない。

実際には大きなことから小さなことまでつながっているのに。

 

 

 

スウェーデンの家族と一緒に生活してみて、個人の生活と社会のあり方が本当に密接に関わっていることをひしひしと感じた。

 

国が社会福祉に力を注ぎ、自治体が教育機関や人々が集える場所をきちんと確保し、職場の柔軟な制度のおかげで家族が多くの時間を共に過ごすことができる。

そしてそれらを支えているのが、人々の平等と民主主義への意識であり、そんな社会で子どもたちは育ち、大人になっていく。

税金を納め選挙に行き、自らの手で社会に影響を及ぼし支えていく大人へと、成長していく。

 

そんな大きな相互関係が、リアルな生活の細部から伝わってきた。

 

 

僕ら日本人が、日々もがきながらも、少しずつ社会との接点に目を向け抵抗していくことができれば、いつか大きなうねりとなり、誰もがゆとりを持っていきいきと生きられる世界になるのではないだろうか。

人生のもがき方を、少し見つめ直してみてもいいのではないだろうか。

 

スウェーデンのシステムを日本にそのまま導入するなんてできっこないのだから、インスパイアされながらも、僕らは僕らのやり方で自分たちの世界を変えていくしかないのだ。

 

 

世の中が変わらないことを、やだやだと憂いながら僕だけが楽をしたって、僕の人生は「世の中」の中にあるのだから、本当の意味で楽しむことはできない。

 

だったら僕は、自分が動いていく道を選びたい。

「誰もが自分らしく、自分の人生をおもしろく生きられる社会」を目指したい。

それは、「僕自身が、僕らしく、いきいきと生きる」ことにつながっているのだと、僕は知ることができたから。

 

 

 

スウェーデンの田舎に泊まって、そんなことを考えました。

 

あなたは、僕らの生きる世界を、どんな世界にしたいですか?

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