三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

人知れず流した泪があった 〜修論〜

どうも、らんまるです。

このたび(といっても数ヶ月前ですが)、無事に修士論文を書き上げ、大学院を卒業することができました(パチパチ

 

自分としては、大学院2年間(+留学期間)で得た経験や、培った知の集大成を形に残すことができて、とてもとても嬉しく思います。

とはいえ、せっかく必死こいて作り上げたものを大学内だけに残しておくのもなんだか悲しいし、かといって学会などで発表するほどのものでもないので、自己満的にちょこっとだけここで紹介しようかなと思います。

自分の周りの人にだけでも、「プレーパーク」という場所のことや、子どもの育ちについて知ってもらえると嬉しいなあ。

興味のある方はご覧ください。

 

修論の主旨は、”プレーパークの意味世界を明らかにしよう”というものです。

まず「プレーパーク」(”冒険遊び場”と同義)とは、僕が大学院でずっとテーマにしてきた、「自分の責任で自由に遊ぶ」がモットーの、子どもの遊び場です。

bouken-asobiba.org

冒険遊び場は、子どもが「遊び」をつくる遊び場です。

そこでは火を使ったり、地面に穴を掘ったり、木に登ったり、何かものをつくったり・・・。

落ち葉やどろんこや自然の素材を使って、
遊び場にあるスコップや金づちや大鍋を使って、
自分の「やってみたいと思うこと」を実現していく遊び場です。

さまざまな遊びが展開されていくので、変化しつづける遊び場ともいえます。

禁止するのではなく、いっしょに考えてやってみる。

のびのびと思いきり遊べるこの場所は、
子どもが生きる力を育むことを支えています。

特定非営利活動法人 日本冒険遊び場づくり活動協会HPより)

 

そして「意味世界」とは、簡単に言うと「人に意味づけられた間主観的なものの総体」のことです。

社会学者の盛山和夫は、著書『社会学とは何か -意味世界への探究-』の中でこう述べています。

「意味世界」というのは、人の主観的世界が意味に充ち満ちていることをいう。

世界がどうなっているか、なぜ世界はこのようになっているのか、何に価値があるのか、どう生きたりどう行為すべきか、何が正しくて何が間違っているか。

人は誰でもそうしたことがらを問いかけ、部分的に答えを見いだしながら生きている。そうした問いと答えからなっているのが意味世界である。(p.23)

 これをプレーパークにあてはめてみると、「プレーパークにいる子どもたちは、プレーパークをどういう場所だと主観的に意味づけているのか、その総体を探ってみよう」という試みなわけです。

 

プレーパークは、時代の流れとともに子どもの遊びが失われていることに危機感を抱いた大人が始めたもので、1970年代に日本で広まりました。

その危機感の背景には、たとえば都市化によって自然が少なくなったり、塾や習い事で子どもが昔より多忙になったり、地域のつながりが薄れて異年齢で遊ぶ機会が減ったり、公園が様々なルールに縛られていたり、といった理由が。

つまりプレーパークとは、子どもが自分の意志を行使して自由に遊ぶ場を作ろう、という活動なのです。

 

プレーパークの研究はそもそも数が少ないうえに、実際に中に入って子どもの声を丁寧に聞いたり観察したりした研究がほぼなかったので、じゃあやったろうやないかということで、僕の研究が始まりました。

 

実際にプレーパークの中に入り、子どもたちの参与観察とインタビューをし、データを解釈分析した結果、三つの意味世界に分類されました。

 

修論は長ったらしいのでここではめちゃくちゃ簡単に書きますね。

 

まず一つ目に、プレーパークはプレーリーダー(プレーパークで働く遊びの専門職)の職能によって工夫された環境があることと、プレーリーダーと子どもの対等な関係性からくる安心感が土台にあることによって、ハード・ソフトの両面において極めて子どもが過ごしやすいように整えられた非日常の空間であり、子どもが日常生活と比べて特段「自由」を感じる場となっていることが明らかとなりました。(長い)

 

 また、子どもとプレーリーダーだけでなく、親や地域住民、ボランティアなど多様なステークホルダーが「遊び」という体験を通して、普段の役割を脱ぎ捨てて関係性を溶解させることで、「プレーパークの住人」として「プレーパーク」という世界を共創しているのだと捉えられました。

 

 二つ目に、プレーパークは「いいことを思いついたらやってもいい」という特有の文化の元、特有の行動様式(例えば、道具の使い方に縛られず柔軟に遊ぶなど)がある場として機能していました。

さらに、その行動様式を日常世界でも応用し、プレーパークの世界と行ったり来たりすることで、行動様式をより身体化したり、他人に継承したりする現象も見られました。

 

三つ目に、プレーパークは普段関わる準拠集団外の「他者」と出会うことによって、「新しい自分」に出会える場となっていることが確認されました。

一方で、プレーリーダーは特殊なセンスを日々の研鑽によって身につけており、その存在が子どもにとって「カリスマ的存在」として捉えられる可能性も示唆されました。そのことによって、本来「自由な場」としてのプレーパークが神聖化されすぎると、子どもが日常世界で感じる「不自由さ」がより強調されてしまうという危険性も持ち合わせていることが明らかになりました。

 

総合的に、こうした独特な世界は子どもたちにとって、

・「やってもいい」「失敗してもいい」と物事を捉えられる「遊びの精神」を育む場としての可能性

・プレーパークと日常世界をバランスよく行き来しながらアイデンティティを形成し、「遊びの精神」をプレーパーク以外の場でも発揮できるようになるための学びの場としての可能性

を持つことが示されました。

 

長々と書いてみましたが、自分で久しぶりに読んでも理解にやや苦しむので、「ふーんプレーパークってとこがあるんや、なんか良さそうやな、子どもができたら行ってみるか」くらいに思ってもらえれば本望です。

 

ここからは、修論を書いてみての感想を少し。 

新卒で入社した会社を半年でやめ、大学院に入り直した僕は、入学当初、必死にもがいていました。

「子どもの遊び」を深く探究したい、でもテーマが決まらない、どこのフィールドで子どもと接したらいいかわからない、もう後戻りすることはできない、とやる気と不安でぐっちゃぐちゃになりながらも、無我夢中でいろんな場に足を運びました。

そんな中出会ったのが、プレーパークでした。

 

プレーパークに出会えたから繋がった人もたっっっくさんいたし、プレーパークを通して日本の遊びの問題に気づけて留学したいという思いにも繋がったし、プレーパークでの活動があったからこそ今の就職先にも繋がったし、僕にとっては返しても返し切れないほどの恩がある場所なんですよね。

 

全てが線で繋がっていて、救われてきたからこそ、自分勝手な恩返しとしてプレーパークを「修論」という形に残したかった。

書き残すことで、まだ社会に広く知られていないプレーパークのことを、少しでも誰かに伝えたいという思いがとんでもなく強かったです。

 

プレーリーダーにインタビューをして、子どもたちへの強い思いや信念に心を震わされ、泣きながら文字起こしをしたりもしました。

この素敵な人たちの思いや活動を、絶対に世に出してやると決意しました。

いつも隣で頑張ってた研究室の後輩も、先生にダメ出しされながらちょっと泣いてました。

 

提出したときの達成感は、たぶん人生で一番だったんじゃないかなぁ。

脳裏に「栄光の架け橋」が流れて、めちゃくちゃに泣いた。きもいくらい泣いた。

なんだかんだ、挑戦してきたことももちろんあったけど、逃げてきたことも、迷惑をかけた人もたくさんで。鬱っぽくなって家から出られなくなった日もあって。

それでも支えてくれた先生がいたり、いつの間にか居場所になっていたプレーパークがあったり、全部が繋がって今があったから、何がなんでもやりきりたかったし、やり切ることができて本当によかった〜。

 

この修論期間、年末年始も誕生日も返上しながら研究室にこもって泊まり込みでがんばってきて(後回しにしてた自分がうんこ)、もうやめたいってなんども思いながらも、思い返してみると、とても楽しかったという感覚が強いのが不思議で。

 

それはきっと、大学院での授業、先生との会話、いろんなとこに連れて行ってもらったこと、自分でいろんな世界に飛び込んできたこと、あんなことやこんなことが全部自分のかける「メガネ」の素材になっていて、「あ、これってこのメガネをかけるとこういうことか」と腑に落ちる瞬間があって、学びが深まって研ぎ澄まされて、いろんなものが見えるようになっていく感じがとてもおもしろかったからかもしれません。

 

人に会わずに、自分の中に閉じこもっていく作業だったけれど、深く潜っていけばいくほど、自分が開いていくような、そんな感覚。

教授とか研究者とか知を生業にしてる人たちって、こんな感覚がおもしろくてやってるのかなって、ちょびっとだけでもわかったような気がしました。これから先も、学ぶことはやめずにいたいな。

大学院で一番学んだことは、自分なりの問いをもって突き詰めることの難しさとおもしろさだった気がします。「面白く生きる」かどうかって、全部自分次第なんだよな。

 

いや〜改めて、大学院にくる選択をしたあのときの自分、グッジョブすぎるぜ。

プレーパークにいる子どもたちのように、僕も他者との出会い、新しい自分との出会いをおもしろがって生きていきたいなぁ。

 

今回も長い文章になってしまった。反省。コンパクトに言いたいことをまとめられるようになりたい。

久しぶりにの人とも、話がしたいです。読んだ人は連絡してね〜