大学院にきた。
やりたいことをやるために。
やりたいこととは、「子どもが夢中になる瞬間」の支援を通して、「生涯を夢中に生きる人」を育てること。
入学してから約2ヶ月。そのためのヒントになりそうなことには、とりあえずなんでもかんでも足を突っ込んできた。
遊びや体験活動に関する授業を受けたり、その先生のプロジェクトにひっついていったり、本を漁ったり、遊び関連のNPOに関わったり、子ども支援の資格の講座を受けにいってみたり、、、
そのひとつとして一番最初に参加を決めたのが、ある体験活動のボランティアだ。
その体験活動は、小学4〜6年を対象とし、夏休みの4泊5日で90キロを歩きぬくというもの。
事業目的として、子どもたちの「生きる力」を育むことを掲げている。また、学生のボランティアスタッフも、毎週ミーティングや研修を重ねることで自己成長できるということも魅力のひとつだと謳っている。
ぼくは何かしらの子どもの体験活動に携わろうと思い探していたのだが、この「生きる力を育む」という文言と、「学生スタッフの自己成長の場」という売り文句に惹かれ、即座に参加を決めた。
この事業の代表はとても熱い方で、ぼくのバックグラウンドを聞いた上でこころよく受け入れてくれた。一緒に熱い夏をつくろう、と固い握手を交わした。
これまで何度か他の学生スタッフとミーティングを重ねる中で、みんなの思考レベルやファシリテーション力、発言力などに慄きながら必死に食らいついてきた。みんなでひとつのことに向かう中で、議論し、考えを共有していくことは、苦手だがとても楽しかった。
しかしそのような中で、ぼくの中にある疑問が芽生えてきた。
この事業で育みたい「生きる力」とは、ぼくが本当に目指しているものなのだろうか、と。
はじめは、そこが全くはっきりしていなかった。ただただ「生きる力」を育もうとしている、それだけで無条件にオールOKだった。しかし活動をしていくうちに、自分の目指したい方向性が徐々に見えてくると同時に、この事業とのズレが見えてきてしまった。
90キロを5日間で歩き抜くというのは、子どもにとっては本当にハードルの高いことである。もちろん大人でさえしんどい。そんなきついことを自分の力や仲間と一緒に乗り越えることで、確固たる自信や強さ、逆境を乗り越える力を身に付けていくんだ。と、この事業は謳っている。実際に去年までに参加した子どもの映像や写真、アンケートを見る限り、歩き切った子どもたちは楽しそうで、輝いていた。あるタスクを子どもに課すことで負荷をかけ、それを乗り越えていく力や目標を達成する力を育もうとするのは、いわゆる「冒険教育」と呼ばれる。今風に言うと、レジリエンスやグリットを高めようというわけだ。
もちろんこれらは、子どもたちがこれから生きていく上で大事な力だと思う。ただぼくが引っかかるのは、この事業においてはその負荷の中に、子どもたちの自由意志がほとんどないというところだ。
5日間で90キロを歩く。それは、初めから子どもたちに課されるものだ。その中で各々の目標はあるかもしれないが、基本的には90キロを歩くことが目標となる。つまり、ここで育まれるのは、やれと言われたこと、やらなければいけないことをやりぬく力である。簡単に言うと、「我慢する力」「忍耐力」だ。もちろん他の要素もたくさんあるだろうが、大枠はこの力が試されている。
しかし、これからの時代で求められていく力は、我慢してしんどいことをやり抜いていくことなのだろうか。
それができず会社を辞めたぼくが言っても何も説得力がないのだが。
そもそも誰だって、楽しく幸せに生きていきたいだろう(たぶん) 。不幸でおもしろくない人生でもいいと思っている人は少ないんじゃないかな。
じゃあ何が自分にとって大切で、幸せで、どんなときに心が動かされて、どう生きていきたいんだろう。そうやって考え続けることがまず大事なのではないだろうか。そして、それが見つかったら、自らそこに向かっていく力こそが必要なのではないか。
そういった自分の芯があって、幸せに生きるために、やりたいことをやるために出てくるやらなければいけないことであれば、それも引っくるめて頑張れるのではないだろうか。
そこで必要になるのは、しんどいことを「我慢する力」ではないように思う。
AIが登場し、人間の仕事を代替し始めている。ますます、人間がやらなければいけないことは機械がやってくれる時代になる。やりたくないことをやらなくてもよくなったとき、働かなくてもよくなったとき、クリエイティブに新たな価値を生み出していける人や、自分自身で人生をおもしろくしていける人が幸せになっていくと僕は思う。
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こんなことを、約5ヶ月前に書いて下書きにこしらえていた。
あれから僕はさらにアクティブに動き回り、出会ったNPOで新しくボランティアを始めた。
僕が今のボランティアに出会えたのは、自分の大切にしたいことに向き合えたからであり、そのきっかけは、以前のボランティアをやめたことだった。
続けてきたことをやめることは、時に簡単で、時に難しい。
やめてしまえば逃げたと思われるかもしれないし、残された人に迷惑がかかるかもしれない。後悔するかもしれない。
僕は周りのことをすごく気にするので、本当に悩んだ。
けれど、開き直ることも覚えたように思う。やってみて、楽しいなとか、いや違うなと思ったら、それはなんでかなって考えて。そうやって自分のことを知っていくことが、幸せへの道標になるんじゃないかな。何かを始めるのも大きな決断だし、やめることも同じように大きな決断なのだ。
新しいボランティアの研修を重ね、今日が初の現場だった。本当にいろんな人の、たくさんのエネルギーが、人の心を動かし得るのだなと、素直に感じた。
こうやって今回感じたことも、感じただけで終わらせたくない。
始まって終わるすべてのものを、それが終わった時に終わりのままにするのか、はたまた何かの始まりにするのかは自分次第なのかもしれない。
命に関していえばそんなことはない(?)が、僕はいつだって自分で何かを始めたり、終わらせたりできるからこそ、ちゃんとひとつひとつ噛み締めて生きていくぞと、強く思うのだった。