牛丼屋で、女が牛を食らっている。
目の前にはビール。
なぜかそのビールは、まだ一度も手をつけられていない。
女は牛をむさぼる。
ビールの泡は、とうに消え去っている。
女が牛を食らい終わる。
そこで初めて、女はビールを喉に流し込む。
いやいやいや。順番が逆だろうよ、と僕は心の中でツッコむ。
え、貴女は美味いものを一番最後にいただくタイプですか?
行為の終了後に前戯をするタイプですか?それはもうただのお掃除です。
こんなどうでもいいことを考えながら、僕は僕の牛をむさぼる。
むさぼりながら、このことをブログに書こう、と思い立つ。
構成を練る。
携帯の電源を切らしていたのでメモができず、家までの道のりで他のことを考えないように努める。
僕の頭の中は、お掃除女のみ。
くだらないことを忘れないように忘れないようにと反芻しながら、もっと他に忘れないようにしたほうがいいことがあるだろうが、ともう一人の自分が言う。
たしかにそうだ。
繰り返される日々の中で、僕は忘れたくない出来事に出会う。忘れたくない感情に出会う。忘れたくない人に出会う。
しかし悲しいことに、人は忘れる生き物である。
無論、僕は人であるため、忘れる生き物である。虚しいほどに多くのことを忘れていく。
きっとこのお掃除女のことなんて、明日には忘れているだろう。
僕が本当に忘れたくない出来事はなんだろう。
本当に忘れたくない感情はなんだろう。
本当に忘れたくない人は誰だろう。
瀧くんにとっての三葉のように。
三葉にとっての瀧くんのように。
忘れたくないものを忘れないためには、努力が必要である。
こうして問いかけ続けることが必要である。
反対に、忘れたいものほど忘れないものである。
あのとき、絶対に忘れないぞと誓った気持ちも。
あのとき、忘れたいほどに恥をかいた過ちも。
すぐに忘れてしまう。絶対に忘れない。
ふと、自分はどうだろう、と思う。
僕は、誰かにとって、忘れない人でいるのだろうか。
僕は、誰かにとって、忘れたい人でいるのだろうか。
今日も何かを忘れていく。今日も誰かが僕を忘れていく。そんな日々の中で。
僕は、僕が忘れたくない人にとって、忘れられない人でいたい。
忘れそうになる大切なものを、思い出し続けられる人でいたい。
「忘」という漢字がゲシュタルト崩壊してきたところで、この話はおわりにしよう。
7月の夜の雨は、まだ冷たい。