三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

落ち着いていきや〜〜、自分

先日大学の教授が言っていた。

 

この世に存在するものは、意味を持って初めて存在することになるらしい。

 

例えば、目の前に椅子があるとする。僕ら人間にとって、それは見た瞬間に「座るためのもの」だとわかる。それもそうだ。僕らは椅子が座るために作られたことを知っていて、それはその目的に忠実に沿った形態をしているからだ。初めから椅子は、意味を与えられて作られている。

しかし、犬や猫といった動物にとって、それは「椅子」であるということはわからない。

そこに"意味"を与えることができないし、与える必要もないから、動物にとってそれはただの物体でしかない。

 

という感じの話。

 

 

僕はこれを聞いて少し怖くなった。

 

もし、自分がこの世の誰からも認識されていなかったら。誰からも必要とされていなかったら。誰の役にも立てないとしたら。

誰からも意味を与えられなかったとしたら、僕はこの世に存在していないことになるのだろうか。

 

「...人はいつ死ぬと思う? ...人に忘れられた時さ...!!!」と漫画ONE PIECEでDr.ヒルルクが言っているけれど、そうだとしたら、身体は生きているのに人としては死んでいる状態もあり得るということだ。

ソクラテスも、卑弥呼も、チンギスハンも、ナポレオンも、ガンジーも、アインシュタインも、どれだけ月日が経っても人々から忘れられることなく、生きているということだ。

 

永遠に生き続けるには、人類の歴史に名を刻むほどの功績を残すか、名を聞くだけ誰もが震え上がるような大犯罪者となるか、もしくは家系の中で大きな存在となり子孫に語り継がれるか。そんなとこだろうか。

 

そもそも永遠に生き続けたいとは思っていないけれど。

 

誰か一人でも、自分の心身がここにある間だけでもいいから、自分の存在を忘れないでほしいと思うのは、わがままなのだろうか。

 

 

自分自身で自分に意味を与えられたら、こんなことでいちいち怖くなったりせずに、堂々とかっこよく生きられるのかなあ。

僕が今まで出会った、「人は孤独な生き物だよ」とさらりと言ってしまう人たちは、そんなかっこよさを持っていたように思う。しらんけど。

 

評価軸を他人に置きがちな僕にはまだまだできそうもないので、怯えながら躓きながら、模索していくしかないよな〜〜

 

そんな急がずに、令和が終わる頃にかっこよく生きられるようになってたら嬉しいな〜くらいのペースでやってこ。

 

それではみなさん、おつか令和〜〜