音楽がしたいと思っていた。
自分の思うままに音を奏でられる人は、どんなに楽しいだろう。
すきな人と音を重ね合わせられたら、どんなに幸せだろう。
僕は小学校6年間ピアノを習っていたが、練習がつまらなくて一向に上手くならなかった。知らない曲ばかり練習させられるからだ。ミーハーな僕は、知っている曲や有名な曲を自慢気に弾けるようになりたかった。
中学に進んだらバレーボールをすることは決めていたので、ピアノは辞めようと思っていた。
しかしこのままだらっと辞めてしまうのも嫌だったので、有終の美を飾るため、卒業式の伴奏をするべくオーディションを受けることにした。そのモチベーションはもちろん、卒業式の合唱曲が知っている曲だったからだ。
そして僕はオーディションに受かった。受けていた人の中で、僕は唯一の男の子だった。誰がどう聞いたって明らかに一番へたくそだった僕が、なぜか受かった。
落選した女の子が、号泣していたことを今でもはっきりと覚えている。これは中途半端な気持ちで臨んではいけないんだと、そのときようやく悟った僕は、今までのやる気のなさがまるで嘘のように練習に励み、卒業式本番はノーミスで終えることができた。
やりきった僕は、清々しくピアノ人生の幕を閉じたのだった。
それからしばらく、楽器の演奏とは無縁だった。
歌がすきだから、いつかアコギを広い野原で弾きながら思いっきり歌いたいとぼんやりと思っていたが、行動に移すことはなかった。
そんなとき、あるスウェーデン人との出会いがあった。彼はコーヒーやギター、ゲーム、映画、三味線、琴など非常に多くの趣味を持っていて、そのひとつひとつへの愛が深かった。それゆえ彼の話はとてもおもしろく、僕もその魅力に巻き込まれていく感覚が心地よかった。
この友人のように、自分に今までなかった価値観を教えてくれたり、刺激や楽しさを提供できる人って素敵だなあと思う。
そんな人になりたいと思いながらも、自分は頭がよくないし高尚な趣味もオタク的な何かもない、とまた卑屈になりかける。
卑屈たっぷり、おいしいコーヒー - 三日坊主の三年日記
それから、僕もこんなふうに何かへの愛を深めたいという思いが強くなり、始めたいけれどなんとなく後回しにしていたことってなんだろうなと考えてみた。
それが、音楽だったのだ。
スウェーデン人の彼が、「ウクレレは誰でも簡単に上手くなるから、おすすめだよ。ぼくもこの前友人の誕生日にプレゼントしたんだ」と言っていたので(ダンディーすぎない?)、僕は迷わずウクレレを選び、Amazonで最安値のものを即行で購入した。
すぐに行動するところは僕のチャームポイントなのだが、みなさんご存知の通り僕は三日坊主なので、家にウクレレが届いてから開封することなく、1ヶ月が過ぎてしまった(零日坊主やん)。
そんなとき、救世主が現れた。
ボランティア先の高校生が、なんとウクレレを弾けるというのだ。しかもその子に、ウクレレを買ったけどまだ一度も練習していないことを話すと「一緒に練習しましょうよ」なんて言うもんだから、そんなのやるしかなくなっちまうじゃない。
そしてこれまた驚くことに、そのボランティア先の施設の職員さんに、ウクレレをやっている人が3人もいたのだ。
ウクレレが弾ける人なんて今まで出会ったこともなかったのに、突然目の前にこんなに現れることなんてある?なくない?なにこの突然のウクレレラッシュ。人生って何が起こるか本当にわからない。
そんなこんなで、僕はウクレレ弾きの女子高生の一声によってウクレレを開封することとなり、いざ始めてみると楽しくて楽しくて、楽譜を見ながらある程度簡単なコードで曲が弾けるまでにはすぐに上達していった。
その後僕は、とあるきっかけでヒッチハイクをしたのだが、そこで乗せてくれた人へのお礼にウクレレの弾き語りをお届けした。
(ヒッチハイクについてはこちらで触れてるぜ)
へっっっっったくそな弾き語りだったが、自分が音を奏で、その空間を、時間を誰かと一緒に楽しむことができたことがほんとうにほんとうに嬉しかった。
これこそが、"音楽"だ、と思った。
やりたくもないピアノの練習をふてくされながらやっていたあの頃は、微塵も音を楽しんでなどいなかった。今なら、ピアノだって楽しめる気がしている。
伊能忠敬が50代で仕事を辞め、ずっと学びたかった測量を始めたように。
やりたいと思ったことは、いつだって、何歳からだって始められる。
ましてや僕なんかまだまだ若いんだから、なんだってできる。なんにだってなれる。プリキュアにだってなれる。
僕はウクレレを始めたことで、音を楽しむことのおもしろさを知った。こんなのきっとまだまだ氷山の一角に過ぎなくて、もっと深みがあるはずだ。
コーヒーに含まれる「カフェイン」という一側面だけを見て、「眠け覚まし」としてコーヒーを摂取していた以前のぼく。
友人と甘いものを食べ、おいしい時間を共有しながらコーヒーを楽しめるようになった新しいぼく。
ひとつの物事を一面からみて捉えるよりも、いろんな視点からみてみると、新しい自分に出会えるかもしれない。
新しい自分に出会い続けることで、人生はもっともっと色づいていくんじゃないかな、と少し思えた。
卑屈たっぷり、おいしいコーヒー - 三日坊主の三年日記
去年の11月の僕より、間違いなく、今の僕の人生には新しい色が加わっている。
もっともっと、増やしていきたいなあ。