三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

もうひとつの奇跡と、9年後の僕との約束

先日、僕が関わる冒険遊び場での奇跡について書いた。

 

pyonsu.hatenablog.com

(ぜひとも読んでほしい)

 

 

実は、僕が関わった男の子でもうひとり印象深いエピソードがあった。

彼は、冒険遊び場に7年間通っているベテラン遊び人の小学5年生(今現在は6年生)。

 

いつも無邪気で天真爛漫、いたずら好き。けれど一歩引いて俯瞰して物事を観察し、冷静な意見を言うこともできる。彼と長く関わったわけではない僕からすれば、そんなイメージだった。

 

こども商店街で、彼は店を出す立場ではなく、全体を取りまとめ裏から支えるマネージャーのようなポジションを頑張っていた。

理由を聞いてみると、去年は友達と出店したが、売上を分けると一人分の割り当てが少なくなってしまい、来年は一人でやる、と決めたからだそう。

 

家で夜遅くまで会場の地図を作ったり、準備や後片付けを誰よりも率先して動いたり、前で子どもたちに指示を出したり。

それは決して大人がやれと言ったわけではなく、彼自身がやりたいと言ったことだ。

やらされる「仕事」ではなく、やりたいこと、すなわち「遊び」だからこそ、どうすればこども商店街が成功するか、きてくれる人がスムーズに動けるか、みんなが喜んでくれるかといったことを自分で考え、動いていた。そのこと自体を、楽しんでいた。

 

僕は彼をみて、純粋に感心してしまった。

彼はこの歳にしてすでに、自分自身の利益や成功のためではなく、多くの人の喜びや全体の成功を願い、実行していた。

 

そして僕は、子どもたるもの、お店を自由に出していいよと言われたら喜んで自分のやりたいお店をやるのが当然だろう、と思い込んでいたことに気づき反省した。

目の前の子どもたちを、「子ども」として見ていたのだ。

 

しかし、何に喜びや幸せを感じるかは人それぞれで、それに基づいた自分が望む社会への関わり方があるのであって、それは「子ども」とか「大人」にかかわらず、「人間」として当たり前のことだった。

彼はそんな当たり前だけど気づくことができていなかったことを、僕に教えてくれたのだった。

 

 

 

こども商店街が終わったあと、スタッフと地域の大人と子どもを交えた振り返りごはん会が開かれたので、お邪魔してきた。そこには彼もきていた。

 

ごはんを食べながら、こども商店街を通してそれぞれが感じたことを話した。

僕は、遊びを通して子どもたちが起こす奇跡を目の当たりにしたこと、地域の大人たちが繋がって子どもたちの「やりたい!」を支えるあたたかさを実感したこと、スタッフのこども商店街に対する思いや頑張りを知っていた分、それが報われたこと、などなど思いが溢れすぎてしゃべりながら涙が溢れ、だいぶ気持ち悪く醜態を晒してしまった。

 

僕がしゃべり終わると、彼が僕のところにやってきた。

彼は、なんと泣いていたのだ。

僕には彼の涙の理由がわからず、びっくりしてしまった。

 

「もらい泣きした」と言う彼の横で、僕はただ彼を見守った。

なぜ泣いていたのか、彼は教えてくれなかった。

 

あとで別の子のお母さんに話を聞くと、彼は中学受験に専念するため、プレーパークにはしばらく来れなくなるのだと。だから、今回のこども商店街が最後だということで、強い思いがあったのだった。

 

僕はそれを聞き、彼になんと言葉をかけていいかわからなかった。

僕に、彼の感じている気持ちはわからないし、彼の背景を十分に知っているわけでもない。

 

そのまま振り返り会は終わり、僕はもやもやしたまま家路に着いた。

 

 

 

もし万が一、その受験が彼の意志ではないとしたら。

プレーパークという場所を受験勉強のために強制的に奪われているのだとしたら。

それは彼にとってとても苦しく、悲しいことだと思う。

しかし、子育てや教育に対する考え方は人の数だけ、家庭の数だけあるのが当然で。世の中的な正解も不正解もなく、その家庭が信じるものが正しくて。

僕は学生という立場だが、仮に学校の先生やプレーリーダーだとしても、家族の選択に介入することはできず、その決断を尊重し背中を押すことしかできない。

 

彼の涙が、その悲しみの涙ではないことを、僕はただ願うしかなかった。

 

 

 

 

 

こども商店街から数日経ったある日。

突然、彼のお母さんからメッセージが届いた。

彼のお母さんは振り返り会にきていなかったが、きっと他のお母さんが僕のことを伝えてくださったのだろう。

 

びっくりしたが、それ以上に嬉しくて、彼のこども商店街での話をし、背景を聞いてみた。

お母さんとのやりとりを、一部引用したい。

(彼本人にも、お母さんにもブログに書くことをご了承いただきました。)

 

彼は、プレーパークに通って7年くらいになります。

学校ではうまく行かなかったり、苦手な事もプレパでは、周りが受け止めてくれる、だから居場所になっています。

受験も、プレーパークではイキイキやりたい事が自分らしく出来るのに、公立中に行けばできなくなるんじゃないか。 自分らしく生きて行けないんじゃないかと彼が考えて自分で決めました。

ただ、勉強に取り組む事が遅かったので今回のこども商店街が一区切りと彼自身が思ったようで、並々ならぬ想いがこど商にありました。

親は、こどもがやりたい事ができる環境を用意するだけかなと、、、。

 

感受性豊かだからか、周りの人たちの事もよく見ていて、学校の理不尽さも愚痴ります。

5年の秋にはうちのクラスでは間違えはないんだよ、だって先生の想いに沿った事をみんな手を挙げて言うんだと。客観的に学校特有の空気を読む、先生に忖度するような事も言ってました。

 

 

衝撃だった。

僕の心配は杞憂で、まるっきり外れていた。

中学受験は、彼が自分らしく過ごせる場所を自分の手で掴むための選択だった。

プレーパークという大好きな場所を奪われたのではなく、前に進むための力強い決断だったのだ。

 

 

僕はその事実に安心したと同時に、彼のような学校でちょっと周りと違う子、違和感を覚える子がなぜ戦わなければならないのだろう、苦しまなければならないのだろう、と悲しさでいっぱいになった。

 

僕は中学受験をしたこともないし、彼の歳の頃に大好きな場所を捨ててまで勉強を頑張ろうと思ったこともない。

彼の苦しさは、僕には到底想像しえなかった。

 

もし彼が、彼の選択を信じ、優しく背中を押してくれる家庭に恵まれていなかったら。

受験をしたくてもできない経済状況だったら。

大切な大切な子ども時代を自分らしく過ごすことができないまま大人になってしまうのではないだろうか。

そんな子どもたちが、日本にどのくらいいるのだろうか。

 

 

 

自分らしく過ごせる場所を探していま、頑張っているようです。

 

お母さんのメッセージを読みながら、ぼろぼろと意味不明なくらい泣いた。

自分でも涙もろすぎてドン引きするレベルだが、彼の心情を思うと胸が痛かった。

 

 

 

 

 

後日、お母さんからまたメッセージをいただいた。

 

そういえば、この(僕)との一連のやりとりを見せてから、こども商店街の話の後日談をぽつりと話してくれました。(終わった直後は全然教えてくれなかった!)

 

(プレーリーダー)に、地図を書いたバイト代として、6万あそびーをあげると言われたけど、丁重に断ったこと。 それは、バイト代をもらうために地図を書いたのではなく、今までの経験から地図が必要だと思ってした事であってお金の問題ではなかったという事。

 

前々日に地図を深夜まで書いたけども、どんぐり(どんぐりを集めるとあっそびーと交換できる)の落ちている場所まで書いてなくて初めて来る人には不親切だったと振り返っていた事。

 

いつも仲良しな(友人)や(友人)達チームの店が、40万あそびーの売り上げがあり、過去最高だったからみんなでハグをした事。オレも嬉しかった。と 教えてくれました。

 

自分の為ではなく、周りの為に動く達成感を小さな頃から知ってるんだなと、自分の息子だからとかではなく、一人の人としてすごい奴だと私も尊敬してしまいました。 ついつい、私もふくめて、社会は対価を求めてしまうのですが、それは今の時期に求めなくてもいいのかなと思ってしまいました。

 

(彼)の今の将来の漠然とした夢は、何か人の役立つ事やシステムを作ったり、やりたいとの事です。

 

 

彼のこども商店街への並々ならぬ思いが伝わってきた。もう毎日泣いていて情緒不安定すぎる。

 

振り返り会のときの彼の涙の意味は、きっと彼自身もいろんな気持ちがぐちゃぐちゃでうまく整理できなかったのだろう。

あれから数日の間、あの日感じたことを彼の中でゆっくりと見つめ直して噛み砕いて、言葉にする準備ができたタイミングで僕とお母さんが出会ったことによって、その気持ちがふっと外に出てきたのかもしれない。

 

素敵な親子関係で素直に羨ましいなあ、と思った。

ありのままの気持ちを受け止めてくれる人が近くにいることは、人間が生きていくうえで何よりもの支えになる。

 

彼には、自分らしく過ごせる場所を見つけてほしい。
もし仮に合格した学校が思っていたのと違ったり、公立中学にいくことになったとしても、絶望しないでほしい。
彼が7年間プレーパークで積み重ねてきたものは決して消えないし、彼を受け止めてくれる人や居場所は、必ずある。

そして彼自身は、そんな自分らしくいられる場所を、自分自身で作っていける力があると思う。


彼には、いつもそばで、一番の味方でいる家族がいて、あったかく迎えてくれる地域があって、僕のように彼を思うおせっかいな学生もいる。
だから、つらくなったらいつでも逃げてほしい。いろんな人を頼ってほしい。一人で抱え込まないで、しんどくなったらたくさん泣いて、また笑ってほしい。

 

きっと彼は今とても苦しい時期にいるけれど、長い目でみれば本当に本当に大きな一歩を踏み出したのではないかなと思う。

彼はこれから先の人生も、たくさんたくさん迷いながら、周りの人たちに支えられながら、自分で決めた道を自分らしく歩んでいくと思う。

 

そして彼がいつの日か自分の歩んできた道を振り返ったとき。

プレーパークで過ごした日々

あの日のこども商店街のこと

つらい決断をしたこと

周りにあたたかく見守る大人がいたこと

いろんな点と点が繋がって、彼が自分の人生を力強く肯定できることを願う。

 

そんな彼の人生の中でかけがえのない時間をともに過ごせたことを、僕は心から誇りに思う。

 

誰かの幸せを願い、一緒に喜ぶ、そんな彼なら、素敵な夢をきっと叶えるだろう。たくさんの人を幸せにするだろう。

 

僕が今できることは、自分で踏み出せる強さを持っている彼を信じ、支え、応援することくらいだ。

 

 

 

 

僕は子育てをしたことはないけれど、プレーパークでお母さん方と関わるようになって、母って本当に偉大だなとつくづく感じる。


子育ての楽しさや喜びももちろんたくさんある中で、我が子の幸せを願うからこそ大きな不安も、苛立ちも悲しみもたくさんあるのだろう。
それでも、そんなこと全部飛び越えるくらいの大きな大きな愛に溢れている。そんなお母さん方に出会えてよかったなと心底思う。


プレーパークは、大人たちのいろんな感情もみんなで分かち合って、みんなで子どもたちの可能性を一緒になって信じてあげられる、親も子も一緒に大きくなっていく、そんな場所だ。

僕もその一員になれて、とても嬉しい。

 

 

 

最後に、(彼)が「オレが大人になったら、(僕)はいくつになってるんだろう?」と言ってました。

そして、「あの人(僕)は、成長するよ!」と(めっちゃ上から目線!)

 

(彼)が20歳になるまで9年。

9年後、一緒に飲みに連れて行ってやってください。

色々ありがとう。 力強いメッセージ、(彼)にも伝えておきます。

 

 

 

思わぬ形で、  11歳の彼から、とても力強いエールをもらった。

 

9年後の僕は、一体何をしているだろう。どこにいるのだろう。

何をしていたとしても、また彼に会いたい。

そして、お酒を交わしながら、積もり積もったいろんな話をしたい。

昔話、プレーパークの話、受験の話、中学、高校の話、出会った人々の話、人生の話。

そして、夢の続きの話を。

 

彼の人生に負けないくらい、僕もおもしろい人生を生きる。

これが、9年後の僕との約束だ。