三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

〜田舎に泊まろう in Sweden〜 4日目

今日も6時に起床。部屋でブログを書いていたら、窓からの景色がいつのまにやらこんなことに!

 

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思わず外に駆け出し、写真撮ってしもた。

 

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もっと上手く撮れるようになりたいなあ。

 

リビングには大きな窓がついてるので、朝ごはんを食べながらビューティフルサンライズを拝めちゃうんです。

かわいいインテリアもたくさん。

 

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スウェーデン名物、ダーラナホース!

 

 

今日は庭に生えてる木から取れたりんごで作ったMikaelaお手製りんごジャムとパンをいただいた。なにそれ最高すぎてまじで心臓しんどい、、、、 

もう、朝からハピネスが渋滞してるわ。

 

4日目にして、すでにこの健康的すぎる生活に慣れてしまった。

12時前に寝て、7時に起きる。

バランスの取れた食事を、誰かと笑いながら食べる。

SNSをみる時間をなくして、誰かと過ごす時間を大切にする。

これが、ボディー・メンタル双方に対してこんなにも健康的だとは思っていなかった。

生活リズムを改善するには、誰かと住むのめちゃ効果的なんやな。

あと何かしらの朝のルーティンを持つのもめっちゃ重要。いい学びや。

 

 

今日は午前中に仕事を終わらせ、 ランチにタコスを食べたお。

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タコスはスウェーデンの一般的な食事なのだ

 

金曜日はStellaのförskolaはおやすみ(Mikaelaは今職をもっていないため、共働きじゃない家庭は週4日なのだそう)なので、一緒にランチ。 

ちなみにStellaの食べる様子はこんな感じ。

 

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ランチ後の散歩の途中にStellaの食べ方について聞いてみると、Mikaelaの両親がすごく厳しかったから、自由にさせてあげたいっていう思いがあるんだって。

 

それと、最初はきちんと椅子に座ってお皿の上で食べるようにしつけようと試みたけど、それだとStellaが全然ご飯を食べてくれなかったから、今の自由なスタイルにしたら、時間はかかるけどもりもり食べるようになったらしい。

 

食べたい時に、食べたいように食べる。それが一番、子どもにとっても親にとってもストレスフリーで、楽しく食べれる方法だと気づいたのって、すごいよなあ。

 

生活や心にゆとりがないと、なかなか子どもの自由気ままさを寛容に受け止められないし、子どものしたいことを時間をかけて待ってあげられない。

ここでの生活には、その"ゆとり"がある。

 

でもそれは、この家族だけが作り上げたものではなく、広くて快適な家、豊かな自然、そばで助けてくれる親戚、柔軟な会社の仕組み、屈強な土台となっている教育や福祉といった社会のサポート、すべてが絡み合って成り立っているものなんだ。

 

 

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散歩中。赤い家が立ち並ぶのがスウェーデンの原風景。美。

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アルクリスマスツリー!でか!!

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近所で飼われているミニチュアホース。このサイズで大人なんだと!

 

 

 

散歩後は、Mikaelaのお兄さんの誕生日パーティーにお邪魔した。

 

誕生日は、親戚一同が集まってお祝いしたり、自分で会場を借りて友人を招待したりするのが一般的。

ヨーテボリの友達も、基本自分でフェイスブックにグループを作って、自分の誕生日パーティーを主催していた。

そこに無関係甚だしいぽっとでの東洋人が一人紛れ込むのは、明らかにstrange。

まあでもかもんかもんと行ってくれたので、ちゃっかり行くことにした。

 

しかし行きの車でMikaelaが、「もしかすると、みんなシャイだからあんまりしゃべってくれないかもね」とか言い出したので、まじかよ、と若干緊張気味で乗り込むと、予想通り大人たちは少し警戒した感じでNice to meet youと言ってくれた。

固い。非常に固い。大丈夫、僕はウィルスなんぞ持っていませんぞ。

 

手作りのケーキとコーヒーをいただき(めちゃうま)、大人たちが楽しそうにダイニングで談笑している中、僕はリビングのソファーの隅っこで気まずくぽつんと座っていた。

すると、ケーキを食べ終わった親戚の子ども一同が、家中をあちこち駆けまわり始めた。

それがなぜか飛び火し、ちょっかいをかけられたもんだから、子ども大好きおじさんは彼らと遊ぶことに。

 

ふかふかのソファーに投げられまくってはまた這い上がり、無限に立ち向かってくる子どもたち。

その様子はさながらマツコデラックスのぶつかり稽古。

異国の地の知らない人の誕生日パーティーで汗だくになりながら子どもとぶつかり稽古をする東洋人、冷静にやばいやろ。

 

5歳と9歳の子は、すでに英語をちょっと理解していたんで、ちょっとばかし話すことができた。

スウェーデンでは7歳から英語の授業が学校で始まるらしいのだが、親も英語をしゃべれるし、映画や音楽、YouTubeなど英語に触れる機会はたくさんあるので、自然と覚えていくらしい。強い。

ちゃんとぶつかり稽古中にも水をくれた。優しい。

 

 

 

勝手にむちゃくちゃ楽しんで、疲れ切って帰ったあとは、晩御飯。

 

今日は僕が炒飯を作る日だったので、あらかじめ買っておいた材料で意気揚々と作り始めた。

しかしなんと、鍋で米を炊く際の水の分量をアホほど間違い、地獄のような炒飯が出来上がってしまった。

 

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べたべたすぎてもはや米の原型がない

 

 

Tobiasは「腹減った!!!!」と言って仕事から帰ってきたし、Mikaelaも楽しみにしてくれていたので、失敗したのがショックすぎてまじへこみ丸だった。

 

二人は、味は悪くないよと言ってくれたものの、人にごちそうするのにここまで失敗したのは本当につらい。フライパンを焦がしたのもまじで申し訳ない。おかわりしてくれるTobias優しい。。

 

唯一Stellaだけはなぜか美味しそうに食べていて、「このオートミールもっとほしい!」と言っていたのには、思わず爆笑せずにはいられなかった。

 

子どもというものは、ふとした瞬間に世界を救う力を持っている。

オートミールスウェーデンで定番の朝食で、麦のおかゆみたいなもの。僕は好きじゃない)

 

 

 

地獄の炒飯を食べ子どもたちが寝たあとは、チーズとクラッカー、ホームメイドサイダーをいただきながら(これめちゃうまい)、ゆったりNetflix鑑賞。

金曜の夜の定番の過ごし方だ。

 

 

今日は、Queer Eye in Japanを観た。

昨日のセックスエデュケーションといい、今日のQueer Eyeといい、多様な性を当たり前に受け入れているスウェーデンならではのチョイスというか、純粋にいいなあと思った。

 

Queer Eyeでは、「社会に拒絶されているようでつらい」と感じている日本人のゲイの人が、それぞれが美容や料理などの強みを持つアメリカのゲイ5人組とふれあう中で変わっていく、みたいなドキュメンタリーをやっていた。

日本ではゲイは生きづらいの?とMikaelaに聞かれ、そうだね、と答えざるを得なかった。

 

スウェーデンでは2009年に同性婚が法制化され、女性の社会進出に至っては1970年代から動きが始まっている。

生まれながらにして無条件にハンデを持っている人、社会で生きづらい立場にある人を支えるには、社会を変えていくことで対応できるし、実際になんとかしてきた背景があるのが、今のスウェーデンなのだ。

 

選択的夫婦別姓(僕的には、そんなの変えたところで誰も被害受けないんだし、早く認めればもっと多くの人が幸せになるだけやん?って感じ)すらも一向に前に進まない日本は、スウェーデンから見れば太古の昔。まじ旧石器時代レベル。

 

一体いつになれば誰もが自分らしく生きられる国になるのだろう、ともやもやと考えていたら、いつのまにか3人ともソファーで寝てしまっていた。

なんだこれ、こんなこと家族でもしたことないぞ。

 

 

というか、前から思ってたけど、スウェーデンのソファーは、まじでいい。

居心地がよすぎて永遠に座れる。まじの冗談抜きで、どこの友達の家に言っても、ソファーに命懸けてるんですか?ってくらいめちゃめちゃいいソファーがある。足伸ばせるやつ。

 

ソファーを素敵にすることでこれだけ幸せになれるんだという事実を知ってしまったので、帰国したらソファーに命懸ける男になるしかないなこれは。

 

こんな素敵ソファーがあるせいで、TobiasとMikaelaは僕がいる前でも普通にいちゃいちゃするし、キスもする(ソファーのせいではない)。

子どもたちにも、キスをしたりたくさんスキンシップをしたり、寝る前にとびっきりのハグをしたり、ちゃんと愛情を表現している。(ちなみにStellaは僕にもおやすみのハグをしてくれる。愛。)

 

子どもの一番近くにいる大人が、大切な人への愛をストレートに伝えているということ。

そして自分にもたくさん愛が注がれていることを子どもが身を持って感じながら育つということ。

これらは、子どもが自尊心を育み、自分を愛し、誰かを愛するようになる上で本当に本当に大切なことなんだろうなと思う。

 

 

この世界、結局はラブなんだよな、うん。

今日もいい一日でした!おわり!