三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

泳ぎ続けることが大事だと、魚は言った

僕が住む寮の近くには、小川が流れている。東京にしては水がとても綺麗で、流れゆく川を小さな橋からぼーっと見つめるのが僕はすきだ。

 

ふと、流れに逆らって泳ぐ魚たちが目に入る。

 

せわしなく移動する訳でもなく、ただただ同じ場所に留まり続ける魚。

魚は、一体何を考えているのだろう。

どこまでも泳いでいけるはずなのに、なぜその場に居続けるのか。居心地がいいからか。どこかへ向かう意志がないからか。

 

 

その場に留まり続けることに、僕は不安を覚えてしまう。

現状維持は衰退の始まりだと誰かが言うように、前に進まなければ、成長しなければと焦り、苦しくなる。

 

これから始める新しい生活、新しい環境で、めいっぱい動き回っていろんなとこに飛び込んでいろんな人に会って、あらゆることを吸収していこう。

そう決めてこの街にやってきた一年前の春。

 

川沿いの桜の木々は、変に意気込んだ僕を優しく包み込むように迎え入れてくれた。

 

 

 

 

あれから時は経ち、もうすぐ季節が一周しようとしている。それなのに僕は、この街で迎える二度目の春を前にして、桜どころではなくなってしまっていた。

 

 

少し前から、何も頑張れなくなった。

それまでずっと息を切らして走ってきたからなのか。いや、息を切らしていることにも気づいていなかった。

 

やらなければいけないこと、行かなければいけない用事、読まなければいけない本、調べなければいけないこと、山ほどあるにも関わらず、全然できなくなってしまった。

家に閉じこもって自分を責める日々。

これまで頑張ってこれたのに。手を伸ばしていろんなものを掴もうともがいてきたのに。まだ掴みきれていないのに。

やりきれない、弱くてだめだめな自分がここにいる。

たくさんの人に迷惑をかけてしまった自分がここにいる。

苦しくて、人に顔をあわせることがこわい。

携帯やパソコン、デジタルにつながっていることもこわい。

 

力を振り絞って知り合いに会ってみると、いつもと何ら変わらない僕でいれた。 周りからはそう映っていたはずだ。

けれど本当の僕はだめだめ人間でどうしようもないんだ。そんな気持ちで過ごしていたら、前に進むどころかここにいることさえしんどくなってしまった。

 

 

 

病院にいって、カウンセリングの先生と話した。大学院の教授とも話した。そして、しばらくお休みすることにした。

 

頑張ることをやめたり、何もしないことをしたりしてみて、 「休む」って、とても難しいことに気づいた。

実家に帰って、親や兄弟とも話した。信頼する友人たちとも話した。心を張り詰めない日々を過ごすことで、いかに今まで張り詰めていたかを知った。

 

 

一年越しに橋の上からぼんやりと魚たちを眺め、僕はやっと気づいた。

僕たち人間も、同じなんだ。

 

毎朝起きて、外に出掛けて、ご飯を作って食べて、洗濯物を干して畳んで、掃除をして、歯磨きをして、人と関わって。

 

意識はしていなくとも、こうして日々の生活を保っていくことに僕たちはエネルギーを燃やしている。

そんなの当たり前のことだと思いがちだけれど、実際は生きている以上、何かをし続けている。生きるのは簡単なことではない。生きている、というのは、泳ぎ続けていることだ。

 

めんどくさいんだ、生きるって。

それプラス、やりたいことややらなければいけないことをしているのだ、人間は。本当にすごいよ、えらいよみんな。

 

休むことって、泳ぐのをやめることではなくて、スピードをちょっとゆるめてみることだった。 ゆったりと泳ぎ続けている自分を感じることだったんだ。

 

ここで泳ぎ続けているだけでも充分だよ、別にどこへも向かわなくたって悪いことじゃないんだよ、って、そう魚たちに言われているような気がして、足踏みしている自分も許してあげよう、と思えるようになった。

 

 

 

 

そんな当たり前のことに気づいたら、もっと他の魚たちの泳ぎ方を知りたいと思った。だから、最近始めたウクレレをひっさげて、ヒッチハイクをしてみた。

 

当然のことだが、一つとして同じ人生などなかった。

自動運転の開発をしている旅人も、精神科で働くケースワーカーも、一緒に温泉に入った長距離トラックの運転手も、宝石関係の会社経営者も、車が捕まらなくて諦めてピンサロに行ったヒッチハイカーも、みんながみんな、それぞれの人生を歩んでいた。

これまで全くもって交わってこなかった人生だからこそ、その人の見てきた世界を知るのがおもしろかった。お礼にプレゼントした下手くそなウクレレの弾き語りも、いい思い出になったと言ってくれた。

 

僕の背景も話して、「荒治療だね」と言われたけれど、本当に、いろんな人に会うことで僕の心はじんわりと回復していったように思う。

 

 

 

 

 

今日を穏やかに流れる川にも、濁流の日もあれば、渇ききってしまう日もある。

のんびりゆらゆらと川を泳ぐ魚もいれば、びゅんびゅんと止まらずに海を泳ぐ魚もいる。

 

 

頑張れない日があったって、立ち向かえない弱い自分がいたって、それをむりに責めないようにしよう。

泳ぎ続けていることが、大切なんだから。

 

いろんな自分を感じて、少しずつ向き合い方を知っていこう。僕だけの泳ぎ方を、ゆっくり見つけていこう。

この世界にはたくさんの人生があって、それぞれの泳ぎ方があるんだから。

 

 

 

立ち止まってしまったけれど、きっとこの時間は今の僕にとって必要だったのかもしれない。

新しい季節を、また新しい自分で迎えられることを、嬉しく思う。

 

 

 

この期間で、迷惑をかけてしまった方、すみませんでした。声をかけてくれた方、ありがとうございました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。