三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

歩いて帰ろう

「歩く」

 

最近のぼくは、この行為がすごく好きだ。

 

思えば小学生、中学生の頃は、毎日歩いて登下校していた。

朝早く起き、友達と学校へ向かう。授業や部活が終わると、また友達と帰る。

禁止されていた寄り道をしてちょっとどきどきしたり

ふざけあって田んぼに落ちて泥まみれになったり

歩くことは、常に誰かとの時間を共有することだった。だから、楽しかった。

 

高校に上がると、自転車で通うようになった。

朝はぎりぎりに起きては、いつ死んでもおかしくないほどの猛スピードで。

帰りは毎日気心の知れた部活仲間とどうでもいい話をしながら。

ひとりのときは、なりふり構わず熱唱。

 

ぼくの通学路は、毎日きらきらしていた。今同じ道を通っても、当時のきらきらした光景が瞬時に蘇る。

 

大学に入学すると、原付バイクに乗るようになった。

移動時間は、常にひとりの時間になり、誰かと共有することはなくなった。

日常的に歩かなくなると、ほんの少しの距離でも歩くのが億劫になる。

徒歩5分のスーパーにも、原付で行ってしまう。

移動時間を「価値のないもの」として、なるだけ短縮しようとしていた。

 

実家に戻り、職場まで歩いて通うようになった今。

歩きながら、歩くっていいなあと、思った。

 

毎日歩くことは、健康的なことだ。運動を日常的にしなくなったから、余計に実感する。

歩いていると、周りがよく見える。流れていく雲も、颯爽といくサラリーマンも、工事中の高層ビルも。

英単語の勉強にはもってこいだ。歩きながらリズムよく口ずさむと、意味が刻み込まれやすい、気がする。

考え事は、歩きながら。あそこからあそこまで、時間は区切られてるので頭も働きやすい。やるべきことを整理したり、ぱっといいアイデアが浮かんだり。

たまには好きな音楽を聴きながら歩くのもいい。朝はやる気がもりもり湧いてくるし、夜は明日もがんばろうと思える。

 

あの頃と比べると、歩くことは、誰かと共有する時間ではなくなった。

けれど今は、自分自身と向き合う時間になった。

自分と向き合うことも、案外楽しいもんだな。

 

いつも通りの道を歩く時間が、これからの人生を歩む道につながっていく。

立ち止まったり、生き急いだり、しゃがみこんだり、叫びながら走ったり。

道を進む方法は、たくさんある。だから、ぼくはぼくの好きな進み方でいこう。

 

 

よし、今日も、歩いて帰ろうか。