三日坊主の三年日記

人生を、おもしろく

遊ぶように生きること 〜劇団やりたかった〜

「将来は安定した職業に就きたい」

 

そう言葉にする人は多い。ある程度の給与を継続的にいただけることは、生活を保っていくうえで大事なことだ。

 

現代において何をもって安定と呼ぶのかは定かではないが、一度公務員や大企業の会社員になれば一生安泰とされる風潮はまだまだ残っている。

 

中高生の間でも、なりたい職業において公務員は強い。 

 

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(中高生が思い描く将来についての意識調査2017)


 

 

安定した職業を目指す子ども、我が子の安定を願う親が「マジョリティー」だとすると、その逆である「マイノリティー」に属する人々は、一体どんな人なのだろう。

 

 

 

その職業の最たる例が、「俳優」だ。

僕は小さな頃から、テレビの向こう側にいるきらきらした俳優たちを見てきた。

あれはメディアがつくりだしている幻想なのか。それとも現実に存在し、我々と同じようにごはんを食べてうんちっちをして生活しているのか。

そんなこともわからないままにドラマや映画を観て、その感想をべらべらと語り合った。

 

それほどまでにリアリティがなかったのは、僕の人生において「俳優」と交わることなどなかったからだ。

 

しかしついにだ。僕は交わってしまった。

そして一度交わってみると、その生き様に、魅了されずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

東京に来て僕は、雑多な日常に疲れていた。

行き交う人に温もりは感じられない。この世界に、心休まる居場所などないのではないか。

 

 

「演劇が観たい」

僕は、ふと思った。

それも、喜劇。何もかも忘れて思いっきり笑いたい。そう思った。

 

小さい頃におばあちゃんと劇団四季のライオンキングを観に行って、その迫力がえらく怖かったことはなんとなく覚えているが、それ以外に演劇を観たことはない。

 

僕の友人の友人が大学で演劇をしていて、友人がそれを絶賛していたので、僕も前々から観たいと思っていた。

そんなとき、ツイッターで話題になっていた劇団を見つけた。

 

 

「劇団やりたかった」

 

 

なんだこのふざけた名前は。

 

僕はすぐにホームページを見た。

 

 

yaritakatta.wixsite.com

 

2013年旗揚げ。最初の公演は二人の観客を前にひとり芝居をする。

じょじょにファンを獲得し、現在は年二回のロング公演をおこなう。

台本にあった配役を毎回オーディションにより選出。

台本は半年前に配られ徹底した役作りに重きをおき、どこまでが台本でどこまでがアドリブかわからないとの評価を得ている。

年齢を重ねたからわかる笑い、ふふふ、ぷぷぷとなる笑いが特徴。

(公式HPより)

 

 

 

 

これだ。

僕が探していたのは、この「ふふふ、ぷぷぷ」だ。

僕はすぐさまチケットを取った。

 

 

🚃🚃🚃🚃🚃

 

 

当日会場へ向かうと、受付のお姉さん方が明るく迎えてくれた。

大人になってから初めての演劇に胸が踊る。

小さな劇場の一角に腰掛けどきどきしながら待っていると、前説のお姉さんがやってきた。いよいよだ。

 

お姉さんは諸注意を一通り述べ、その後、素敵すぎる言葉で会場を一気に「劇団やりたかった」の空気に変えた。これには本当に驚いた。これだけでも聞きに行く価値がある。

あっという間にぐぐぐぐーっと引き込まれ、ついに演劇が始まった。

 

 

初っ端から、ホームページで見た通り、ふふふ、ぷぷぷのマシンガン。それも乱れ打ち。

球が観客の誰に当たるかわからないから、爆笑が巻き起こるわけではないが、終始誰かが笑っている。

まるで、どこをかじっても違うテイストの美味しさが味わえるホールケーキ。まじレインボー。

それくらい、切り口が多彩。

 

温かな笑いに包まれる観客席は、こたつでみかんを食べながら家族と笑い合うあの感覚を思い起こさせる。居心地がとても良い。

 

俳優さんたちが演じるキャラクターは、みんな何本かネジが抜けている。人間味に溢れていて、愛くるしいという表現がふさわしい。

テレビとは違って全体像が見えるため、セリフを発していない人の表情や動きまで手に取るように伝わってくる。俳優さんの汗や飛び散るつばまで見える。まさに、リアルとはこのことだ。

 

まともな人間は一人も出てこないくせにしっかりとストーリーは進んでいき、見事に伏線を回収し圧巻のラストへ。

全てを言葉にしてしまうわけではなく、観客に解釈を委ねるというハイレベルな余韻の残し方をやってのけ、舞台は幕を閉じた。

 

 

衝撃だった。

演劇って、こんなにもおもしろいものだったのか。

 

感動の名シーンは多々あった。

しかし僕が一番ぐっときたのは、最後に俳優さんたちが一列に並んで、

「ありがとうございました!!」

とお辞儀をするところだった。

そのときの俳優さんたちの顔が、もう、凄まじく清々しくて。

あんなにも生き生きとした顔を人間はできるのかと思わされるくらい、彼らのやりきった表情は光輝いていた。

 

ずっとお客さんの前で、この演劇をやりたかった。

稽古を積んできた僕らの演劇を、見てほしかった。

そんな思いを、観客と作り上げるこの日限りの舞台で爆発させているんだな、この一回の舞台に命を懸けて楽しんでるんだな、と思った。

 

それはまさしく、「遊ぶように生きる」ことだなと思う。

 

 

「演劇」は、英語で"play"を動詞に使う。

「スポーツ」も、「楽器」も"play"だ。すなわち「遊び」である。

俳優もスポーツ選手も音楽家も、「遊び」を究極に追い求めた結果、それが人々を魅了しており、観客はそれによる心の動きに対してお金を払っているのだと思う。

つまり、本来彼らはお金をもらうために"play"しているのではなく、"play"そのものが目的になっているはずだ。

 

「子どもたちに夢を与えたい」

「観客に感動を届けたい」

そんなことを時にスポーツ選手や俳優は言うが、実際は、ただ"play"することがおもしろいからやっているのではないか。 

  

 

遊びは、食事や睡眠と違い、本来やらなくてもいいことだ。だから、仕事と切り離されがち。

 

遊びは、本気であり、かつふざけていないとおもしろくない。マジすぎると引いてしまうし、ふざけすぎているとしらけてしまう。

 

遊びは、それが「遊び」だという安心感がないと成り立たない。鬼ごっこで捕まると殺されてしまうなんて、それは遊びではない。

 

 

本来やらなくてもいい虚構の遊びを、本気かつふざけながら体現している彼らを、安心して見ていられる。これって実は、とんでもなくすごいことだ。

演じることが心から楽しいから、やる。

子どもも同じ。遊ぶことがただただ楽しいから、遊ぶ。そこに、大人が遊びに求める教育的な企みなどない。

 

 

たしかに安定はしていないかもしれない。

テレビの世界で活躍するのはほんの一握りかもしれない。

アルバイトをしないと舞台俳優は続けられないかもしれない。

それでも彼ら彼女らは、自らの人生を自らの意志で主体的に選び取り、命を燃やして遊んでいた。

 

その生き様に僕は、心を奪われてしまった。

遊ぶように生きる「劇団やりたかった」のみなさんを、心からかっこいいと思った。

かっこいいって、意外とすごくシンプルなんだなあ。

 

 

お金を払って、これほどまでに清々しかったことはない。

逆に、「え、こんなに素敵なものを見せていただいたのに、これだけでいいの??」と申し訳なくなる。金銭的な余裕があれば万札を丸めて投げたかった。

 

いいものにきちんとお金を支払って、それで俳優さんたちが生きて、またいいものを生み出して届けてくれる。そんな幸せの循環に巻き込まれたことが、ほかほかと嬉しかった。

 

 

 

会場から駅までの道のり。 

ともに笑った観客たちそれぞれが、余韻に浸っている。みな足取りがふわふわしている。

日常から隔離されたこの空間で繰り広げられた喜劇は終わり、観客たちのいつも通りの日常にじんわりと染み込んでいく。

こんなにも幸せな帰り道があるだろうか。

 

もうすぐ今日が終わってしまう。

また明日も、笑って生きたいなあ。

 

 

 

 

***

 

 

 

それから数ヶ月後。 

僕は、ある高校生に出会った。

中高と演劇部の部長をしていた高校3年生の男の子だ。

大学は演劇が学べるところへ行きたいらしい。

 

彼は僕に、演劇への思いを熱く熱く語ってくれた。

そして力強く、こう言った。

 

「僕、将来は俳優になります。どれだけ苦しくても、アルバイトをしなきゃいけないとしても、演劇をやっていたいんです。」

 

隣にいた彼の同級生は、なんでそんなに不安定な道を行くんだ、ありえない、とドン引きしていた。

しかし僕は彼のあまりのまっすぐさに、心を打たれた。

 

僕は彼を全力で応援したい。

どうか誰も、「やりたい」を追い求める彼を「安定」の二文字で縛ろうとしないでくれと願う。

人の心が動く瞬間は、彼のように、遊ぶように生きようとする人がつくり出すんだ、きっと。

 

人生を喜劇にするのも悲劇にするのも自分なのだとしたら。

劇団やりたかったの俳優さんたちのように、この高校生のように、僕も喜劇を選びたい。 

僕もずっとやりたかったことを、始めてみたい。 

 

彼の未来にわくわくすると共に、僕もわくわくできる人生を歩もう。