1月3日。
毎年この日に、母校のバレー部のOBがぞろぞろとかつての学び舎に集まり、現役生と試合をする「OB戦」が開催される。
OBにとっては同窓会ばりに騒ぎ倒すスペシャルな日であり、現役にとっては「正月くらい休ませろ!」と心の中で悪態をつく日であり、いろんな意味で最高の日だ。
現役時代、僕はOB戦がすきじゃなかった。
久々の再会に歓喜し、盛り上がるOBたち。
年代はばらばらでも、実力のあるOBたち。
青春時代を共に駆け抜けた仲間とまたバレーができる喜びを全身で表現しながら、いきいきと楽しそうに試合をするOBたち。
高校生の僕は、そんな何の重圧も背負っていない、年に一度のおちゃらけた即席チームなんかに死んでも負けてたまるかと思っていた。こちとら毎日毎日しんどい練習を積んどるんじゃ、と。
OBひとりひとりが嫌いなわけではなく(むしろすき)、OBと試合をすること、OBに負けることがとてつもなく嫌だった。OBに負けることで、全身全霊をかけて部活に打ち込む僕らの日々が、全て否定されてしまう気がしていた。
しかし、当時のチームは県内でもそこそこのレベルではあったにも関わらず、実際OBに何度か負け、チームも顧問もぴりぴりしていた。ネットを隔てた「こちら側」と「あちら側」では、同じ体育館でもあまりに違う雰囲気を醸していた。
そんな僕も高校を卒業して大学生になり、「あちら側」の人間としてOB戦に参加するようになった。そこは、とてつもなく楽しい世界だった。一度OB側を経験してしまうと、現役だった時の気持ちなんて一瞬にして忘れてしまった。僕はバレーボールを愛しているので、卒業以来ほぼ毎年OB戦に参加し、当時の青春が蘇るその一日に酔いしれていた。
僕は、かつて自分が嫌いだったバレーをするようになったのだった。
例年通り、今年も僕はOB戦に足を運んだ。大学のバレーサークルを引退して以来、OB戦しかバレーをする(もはや運動をする)機会がないので、自分でも笑ってしまうほどに技術も体力も筋力も格段に衰えていた(つらい)。それでもやはり、OBと一緒にするバレーは本当に心の底から楽しかった。
しかし今年の僕は、例年とは違った。いつもは「OBとの再会のため」「OBのバレーを楽しむため」に来ていたが、今年は、「現役高校生と話すため」に来た。2018年、そう思うようになったきっかけがあったのだ。
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昨年、僕は「カタリ場」というプログラムのボランティアを始めた。カタリ場とは、NPO法人カタリバが高校生に届ける、動機付けキャリア学習プログラムのこと。詳細はこちらを見ていただきたい。
僕はここで学生ボランティアとして活動しているのだが、これをやろうと思った理由について少し話したい。
高校時代、僕はバレー部でリベロというポジションでレギュラーだった。僕はバレーボールを愛しているので(2回目)、純粋に上手くなりたかったし、勝ちたかった。勉強そっちのけで部活にのめり込んでいた。
個々の技術は高かったので、ある程度まで勝ち上がることはできたけれど、強豪の私立には勝てなかった。それぞれが上手くなれば勝てると思っていたチームだったので、ミーティングで技術以外の話が出ることはほとんどなかった。
誰かが調子が悪くて不機嫌になっていても、レギュラー同士が仲が悪くて練習の雰囲気が悪すぎても、なんとなくだらっとした感じが漂ってても、お互いがお互いに一歩踏み込むことはなかった。言いたいことを言いあうことは、本当になかった。チームメイトが何を考えているのか、知ろうともせず、わからないまま時はすぎた。
僕ももやもやしながら何とかしなきゃと思いつつも、勇気が出ずに結局そのまま何も言えなかった。
そうして、あっさりと引退の日が訪れた。
大学生になって当時の同期とたまに飲みにいっても、毎度毎度、あのときはああだったよね、もっとこうしてればよかったよね、の繰り返し。
それぞれにあの時もやっとしたものを感じていたことは自覚していて、それでも変えられなかったことに対して何かしらの後悔を抱えていた。
もちろん僕もそう。こわくて何もできなかった、そのことがずっと心の隅に残っている。
自分が本当はどうしたいのか、どんなチームが理想でどんなふうに部活を終えたいのか、チームメイトにどうしてほしいのか、自分の役割は何なのか、何を大切にしたいのか。そういうふうに一度立ち止まって、自分に矢印を向けて考えてみることができなかった。自分自身と向き合って、対話することができなかった。
だから、人に向き合うこと、深く踏み込むことなど到底できなかった。ひたすらに自分自身の技術をあげることに専念して、蓋をするしかなかった。
冷静に振り返ってみると、今大切だなと思うことが当時はできなかったんだよな、と思える。
でもそれは時が経って大人になった今だから思うことであって、高校生の僕は気づくことができなかった。 こんな悩みなんて、誰にも言えなかった。それでも、どうしたらいいかわからなくても、もがいてもがいて必死にその瞬間を生きていた。
もし仮に、何かのきっかけで気づくことができていれば、ちょっとしたことがわかれば、劇的に変わることもあったんじゃないか。
何か抱えてはいるけど向き合い方がわからない、誰に話したらいいかわからない、そんな僕みたいな悩みを抱えている高校生がもし日本にたくさんいるとしたら、僕はその人たちのために何かしたいと思った。
少し先に高校時代を終えた僕たちが、ちょっとだけ立ち止まって自分や他者と向き合うきっかけを作ったり、普段思ってることを聞いて一緒に解決策を考えたりする機会を、今を生きる高校生に届けることが必要なんじゃないかな、と。
それに、自分自身の中に残るもやもやも、そうすることで少しずつほどいていけるんじゃないかな、と。
これが、僕がカタリ場を始めた理由だ。
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そうしてカタリ場での活動をしながら、今年もOB戦の時期が近づいてきた。
その時、「OB戦に参加すること」の意味が、今までとはまったく違う捉え方ができることに気がついた。そこは自分の原点であり、高校生の僕の、等身大の悩みや葛藤、青春が詰まった場所。
年に一度OBとしてその場所に帰る日は、今を必死に生きる高校生の思いを聞いて、自分の思いを伝える絶好の機会が与えられた日なのだと。
そんなわけで、今年はOBとして楽しく現役と試合をするだけでなく、大変おこがましく図々しいのは承知のうえで、彼らとちゃんと話してみたいなと思うに至ったわけだ。
そして今年も、1月3日を迎えた。
試合は、ほぼOBの勝ちだった。現役は県大会に出るレベルでいい選手も揃っているのに、僕はどこかもったいなさを感じた。率直に、全然楽しそうにバレーしないよなあ、と思った。
試合間に一人の現役の子に話しかけてみると、めちゃくちゃ仲が悪いわけでもないが、一人上手いやつの調子が悪いと機嫌も悪くなり、今までそれは先輩がなんとかしてきたけど、先輩がいなくなってから指摘する人はいなくなった、とのことだった。また、顧問による謎のメンバー交替やレギュラーの配置に疑問を持っている人も多いようだった。
はなから僕は高校生と話したい!と思って来たが、それを聞いて、やっぱり伝えたいと思った。僕の思いを。それは、自分と同じ高校に通い、自分と同じようにバレーがすきで、日々真剣に部活に打ち込んでいる彼らの姿をこの目で見て、自分と同じような後悔をしてほしくないと本気で思ったから。
そこで僕は、OB戦後に現役生たちが全員でミーティングをしていたところにひょっこりお邪魔した。
高校時代の話と、自分が後悔していること。
日々の練習の中で、少し立ち止まって自分に矢印を向けてみること。
勇気を出して、誰かに自分の思いを伝えてみること。
伝えられた人は、否定しないで受け止めること。
そういう時間や関わり方が、引退したときやずっと先の人生で、勝ち負けとは別の形できっとかけがえのないものとして残っていくと思う、ということ。
高校生と輪を作り、(簡単にまとめると)こんなことをしゃべった。不思議と緊張はしなかった。彼らと会ったのは初めてだけど、時々うなずきながら僕の目を見て真剣に話を聞いてくれる後輩たちが、本当にかわいくて愛おしかった。
2017年までの僕なら、絶対にこんなことはしていない。
当時の僕が知らない先輩に何か言われたら、OBに何か口出しされるのなんてただの迷惑だしおまえらおれらのこと何もわかってないやろうが、と思っていたと思う。
それに、僕はもともと話すのがとても苦手だ。人前で話すのはおろか、親しい人の前でも口下手だと思っている。
人にどう思われるかをいつも気にしていて、否定されたり拒絶されたりキレられたりするのがこわくて、言いたいことがあっても自分の中に押さえ込んできた。次第に、怒りや悲しみやもやもやみたいな、心の底から湧き上がってくる何かすらなくなっていた。あったのかもしれないが、気づかないふりをして、向き合わずに逃げ続けてきた。
そんな僕が、自分から高校生たちに話しかけ、思いを伝えるようにまでなった。それは僕からしたら、突然変異レベルのとんでもない変化だ。何が起きたんやって感じ。大学時代の僕を知る人ならわかると思う。
しかし、自分が伝えたいことが、うまく相手に伝わるかどうかは、まったくの別問題だった。今まで自分の言葉で人に何かを伝えることから逃げてきたせいで、伝える力があまりにも足りなかった。
言いたいことが全然整理できなくて、自分で話しながら何を話しているのか、結局何が一番伝えたいのかがわからなくなった。
僕がどれだけ一生懸命話していても、彼らには何も届いていないんじゃないかと不安になり、心が締め付けられた。
OB戦の後は毎年OBの飲み会があるのだが、僕は帰ることにした。一人になりたかった。
高校からの帰り道、歩きながら、悔しくて悔しくて涙が出てきた。
もっと言いたいことを整理しておけばよかった。
彼らの背景を聞いて、人となりやチームの状況、先生との関係性、いろんなことに思いを寄せて想像することができなかった。
一方的に話すだけの口うるさい人みたいになってしまった。双方向の対話ができなかった。
全員の前で話す前に、試合の合間を使ってもっと一人一人と仲良くなっておけばよかった。
これまでカタリ場でやってきたことを、全然発揮できなかった。
伝えたいことをうまく伝えられなかった自分が情けなくてもどかしくて、ついさっきの光景を思い返すと次々とだめなところが浮かんできた。
悔しい。
ちゃんと力をつけたい、と心から思った。
でも同時に、不甲斐なさを痛感している自分、悔しい思いをしている自分がいることに、自分で気づくようになったことを実感した。
今まで数々のもやもやを素通りしてきた自分が、ちゃんともやもやに気づいて向き合おうとしている。なぜ今自分がそう感じているのか、それを解決するにはどうすればいいのかを考えようとしている自分がいる。その変化が何だか嬉しくて、自分の中にあるもやもやが愛おしくも思えてきた。
そうだ、僕は、僕のもやもやをちゃんと愛していきたい。ひとつたりとも、ないがしろにしたくない。
高校時代に感じていたもやもや。
そのもやもやを無視して後悔していただけだった、大学時代のもやもや。
今感じている、自分の力不足に対するもやもや。
それらは、内容も状況も違うもやもやだ。けれど、自分の中のもやもやは年月が経ったとしても自分自身でほどくことができるのかもしれない。
逃げずに向き合って、考えて、行動すれば、ぐちゃぐちゃに絡まった糸くずのようなものも、丁寧に丁寧にひとつずつ解体することができるのかもしれない。
逆にいえば、自分のもやもやをほどくことは、自分自身にしかできない。
他人の影響でもやもやが軽くなったり、少しの間忘れられたり、するするとほどけるきっかけになったりすることはあるだろう。でも、きちんとそれを最後までほどくことができるのは、結局自分だけなのだと思う。そのもやもやを完全にほどきたいのか、ほどかないまま受け入れて生きていくのかを決めるのも、自分だと思う。
僕が伝えたかったことを、彼らがどう受け取ったかはわからない。どう行動につなげていくかはわからない。何も変わらないかもしれない。僕の力不足で、1ミリも伝わってないかもしれない。
それでも、ぼくはこのおせっかいをし続けたい。高校生に、少しのきっかけを届けたい。そういった愛のこもったおせっかいが、高校生の心に火を灯し、自分のことを知り、自分のことがすきになる人が増え、少しでも日本が明るくなることにつながると信じたい。
そのためにも、僕はこれからもカタリ場を続けるし、高校生の心にきちんと届けられるように、しっかりとした力をつけたい。
愛すべきもやもやとともに新年を迎えることができて、今年は素敵な厄年になりそうだ。
カタリバのみなさんも、大学院のみなさんも、昔からの友人のみなさんも、これまで知り合ったみなさんも、ぜひたくさんたくさんしゃべりましょう。お互いのもやもやを見せ合って、一緒に考えましょう。
みなさん、まだまだ未熟な僕ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。